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母学アカデミー学長 河村京子が伝授
”成功する子ども”を育てる究極メソッド

母学コラム

母学コラム詳細

東大生長男への質問回答

Q.お母さんに育ててもらって一番楽しかった事は何ですか?

A.いちばんよかったと思うのは、自分に思考する力がついたことだと思います。考えることが僕の今のアイデンティティの一つでもあります。
あと、たくさんのボードゲームは楽しかったです。特にモノポリーはおススメです。僕、弟、妹、父親の4人で毎週やっていました。

Q.メディアについて、質問させていただきます。本でTVは視せないという信念をお持ちでいらしたお母様でしたが、小学生の頃はマンガや歌番組など子供同士でも話題に上ったと思いますが、どんなところから情報を得ていましたか?そして、お父様はTVを視られてるようでしたが一緒に何か視た番組があればどんなのを視ていたか教えて下さいm(__)m

A. 漫画とかゲームは友達の家でやっていました。
テレビは、お父さんと一緒にコッソリ(笑)バラエティなどを見ていました。
ただし、確かに、芸能人の話題などテレビの情報に疎く、友達とあまり話せなかったように思います。

Q. 本にはほとんど出てこないのですが、お父さんはどんな存在でしたか?どんな役割でいてほしいですか?どんなお父さんになりたいですか?河村家のお父さん像を聞きたいです。

A. 父親とは、週末いつも遊んでもらっていました。
毎週土曜日と日曜日は父親が仕事が休みだったので、朝6時や7時にたたき起こして、モノポリーやトランプなどのゲームをして遊んでいまいた。
あとは、悪いことをした時に怒られていました。
僕は、もうちょっと子育てにかかわれるような父親になりたいと思っています。

Q. 「ご長男さんが親になり子育てするとしたら、(自分がしてもらったような)河村先生の育て方をしますか?」とても興味があります。
出来るようで出来ない、河村先生の子育てですが、実際その方法で育ったご長男さんはどう思っていらっしゃるのでしょうか?
はたまた、別の子育て論をお持ちでしょうか?いや、奥さまに任せっきりか? ほかの方のご質問にもとても興味があります。

A.多分、僕の将来のお嫁さんには、僕の母親の教育の方法を学んでもらうと思います。(笑)
僕自身、母親の育て方のおかげで今の自分になったと思い、尊敬しているので。
また、僕も出来る限り子育てに協力していくと思います。

Q.勉強が嫌で逃げ出したくなった時はありませんか?

中学受験時代は、ただ訳も分からず覚える勉強が多かった(特に社会系)ので辛かったですね。小学校の友達は受験はないので遊んでいるのに僕だけ一緒に遊べる時間が少なかったのが嫌で、受験をやめようと思ったことがありました。
そこで母親はとめることなく、じゃあやめていいよと言われて、2日間ぐらい勉強せずに友達と遊んでいましたが、なんか自分のためにならないんじゃないかと思い、勉強を再開した覚えがあります。

Q.東大に入学して、やっぱり自分は頭がいいと思いますか?

A.東大には僕より頭がいい人は山ほどいます。特に努力を出来る人は。

Q.大学を選ぶ上で 重要視した事はないですか?

A.大学は、東大が日本一だったので入りました。

Q.ゲームなし、テレビなしの生活で、子供の頃に辛い思いをしたことはありませんか?小学生の頃に、仲良しの友達はいましたか?

A.小学校の時に仲良しの友達はいました。よく、友達の家でゲームをしたりとか公園で走り回って遊んでいました。

Q.小さい頃にもっとこれを(スポーツや勉強や遊び等)やっておけばよかったな~と思う事はありますか?

A.サッカーとかのスポーツ特に球技をしておけばよかったです。

Q.小さい頃に、親の言動でショックだったことはありませんか? 両親や大人に対して、反抗的な気持ちになった時期はありませんでしたか?

A.特にショックだったことや反抗期はなかったです。

Q.今の進路や生活に満足し、楽しいですか?自分の家庭が周囲の家庭と違うと思った出来事はありませんか?

A.今は楽しいので満足しています。
僕の家は他の家とは全然違うと常に思ってました。テレビゲームなど出来ないことが多かったからです。でも、周りの子たちが出来ないことを僕は出来ていたので(数学とか積み木とか)満足してました。

Q.あなたにとって、お父さん、お母さんはそれぞれどんな存在ですか?お父さんとお母さんの関係から学んだことはどんなことですか?

A.母親は、今までの自分を作ってくれた、とても尊敬している存在です。
父親は、普段は会社で家にはいなかったのですが、週末はいつも遊んでもらっていました。また、悪いことをした時は怒られる怖い存在でもありました。

Q.夢は何ですか?

A.今は、新しい事業を始めることです。起業家ですね。

Q.お母様に言われた心に残る言葉ってなんですか?

特にこれと言った名言はなかったです。(笑)

Q.小さいころ ご兄弟に対してライバル心とか嫉妬はありましたか?
兄弟けんかした際のご両親の接し方等で印象に残ったこととかあれば教えてください。

A.いつも弟とはケンカをしていました。ケンカをした際は、論理的に正しい方を親は応援というか援護していました。

Q.河村さんの子育てにはご主人(おとうさん)があんまり出てこられないのですが、おとうさんは具体的にお子さんたちとどんなふうに関わってらっしゃったんでしょうか?テレビをご主人の部屋に持って入った、「育児はキミにまかせてるから安心してるよ」と言われたみたいな話をブログか本かで読んだことはあるのですが、もう少しおとうさんのお話もきいてみたいです♪お休みの日の過ごし方とか、そういうのがあれば聞いてみたいです。

A.父親とは、週末いつも遊んでもらっていました。
毎週土曜日と日曜日は父親が仕事が休みだったので、朝6時や7時にたたき起こして、モノポリーやトランプなどのゲームをして遊んでいまいた。
あとは、悪いことをした時に怒られていました。
僕は、もうちょっと子育てにかかわれるような父親になりたいと思っています。

Q.座右の銘は?貴殿にとって、これまでの人生を振り返って「生きる」とは?

A.座右の銘はまだないです・・・。まだ僕は、生きるということを悟れるほど成長してません・・・。ごめんなさい。

Q.どうしてもしたいことを、親にダメだと言われたことはありますか?その時、親へ反抗心はありましたか?実際反抗しましたか?

A.どうしてもしたいことをダメだと言われたことはないと思います。テレビを見るのは禁止でしたが、「ウルルン滞在記」という番組をどうしても見たいことを見たい理由と共に訴えたら、聞き入れられました。

Q.反抗期はなかったですか?

A.とくになかったですね。

Q.お父様、お母様をはどのような方ですか(こんな人物ですという形のご回答がきいてみたいです)。また、ご自身にとってお父様、お母様はどのような存在ですか。」母学なので、「母」に焦点があたりますが、お父様の存在(特にお子様の視点からの)が気になります。

A.母親は、今までの自分を作ってくれた、とても尊敬している存在です。
父親は、普段は会社で家にはいなかったのですが、週末はいつも遊んでもらっていました。また、悪いことをした時は怒られる怖い存在でもありました。

Q.今までの人生で一番大きな挫折は?それをどうやって乗り越えられたか

A.大きな挫折は、高校時代に、海外の高校に留学しようとして、その受験に1次試験で落ちてしまったことですね。
果たしていまでも、乗り越えられているのかはわかりません。留学とは別の方向に進んでいるので(笑)

Q.お母様の教育方針で一番良かったな、と感じる事を教えてください。逆に、これは勘弁して欲しかったな、と感じた事もあれば教えてください。

A.僕の思考力というか考える力を育ててくれる教育方針はとてもよかったと思います。僕の長所のひとつになっていると思うので。
止めて欲しかったのは、テレビが見れなかったことですね。周りの話についていけなくなった覚えがあります。

Q.困難な壁にぶつかったときはどうやって乗り越えてますか?健康な体と心で育ったご長男様の考えが知りたいです!気分転換方法やストレス解消法など。

A.ストレス解消法は寝ることです。

Q.友人関係で困ったことはありましたか?そういう時どのように考え、どのように対応しましたか?

A.友人関係ではしばしば衝突していました。僕はあまり人づきあいが上手ではないので。
とにかく、相手がどのような気持ちになっているのかを考えてはいますが、全然だめですね。

Q.母親から言われてやる気が出た(嬉しかった)言葉、反対にやる気を失った(悲しかった)言葉。それは何歳ごろのことかもお願いします。親から言われて心に響いた言葉は?

A.あまり母親の名言というものはなかったように思います。

Q.母親にもっとこうしてほしかったと思うことはありますか?

A.母親にはもうちょっとテレビを見せて欲しかったですね。周りについて行けなくなったことがあったように思うので。

Q.母親の好きなところは?

A.母親の常識にとらわれないところがいいと思います。

Q.自分に大きな影響を与えてくれた本や、映画などありますか?

A.大きな影響を与えた本は、藤田晋社長の、「渋谷で働く社長の告白」です。この本を読んで、将来社長になりたいと思ったからです。

Q.東大を目指したいと思われた、最大のきっかけは何ですか?できれば、東大を目指すと決心するまでの気持ちの過程を詳しく教えてくだされば嬉しいです。河村さんの教育方針で育たれたお子さんが、どのような思考回路でそういう進路を目指されたのか、大変関心があるからです。そして、東大入学が通過点であるのなら、その先にある大きな目標は何ですか?

A.東大を目指した理由は、日本一だからという理由が一番大きいと思います。正直、中学生の頃は、東大は雲の上の存在のように思っていましたが、高校になって大学を考え始める時に、高校の先輩たちが、東大にいくひとが多いということを聞いて、同じ学校の先輩が行くのなら、僕でも行けるのかな?と現実的な選択肢であることに気づいて東大を志望するようになったのだと思います。
目標は、世界を変えることです。

Q.東大に入って、やっぱり東大を選んで良かったと思ったことはありますか?また、それは、どんなことですか?

A.東大はやっぱり周りの学生のレベルが低くない事です。ですが、案外東大生って普通の人が多いですよ(笑)

Q.お母さんに一番感謝していることはなんですか?

A.母親に感謝していることは、僕を考えることができる人間にしてくれたことです。思考力というか、理数系の学力が僕の今のアイデンティティにもなっています。

Q.将来こんなことを(仕事)したい、または夢を持ったのは、なにがキッカケでしたか?

A.将来は、起業したいと思っていますが、それは祖父が社長をしていて憧れを持っていたことと、小学6年生の時に、母親から、読んで見なさいと渡された、「渋谷で働く社長の告白」という本がきっかけです。

Q.メディアだったり周りと違う(失礼な言い方に聞こえたらすみません!私も共感しています!)環境で育たれましたが、自分が親になっても、そういった環境を作られますか?著書で妹さんには少し寛容に…的なことを言われていたのでお聞きしたくなりました。

A.おそらく、母親のような育て方で、子どもを育てると思います。でも、テレビを全く見せないという事はないかもしれないです。周りについていけないのはすこしつらかったので(笑)

Q.小学生のうちに頑張っておいた方がいいよと思うことはありますか?

A.小学生のうちは、テレビゲームとかに夢中になるのではなく、外で遊んだり、カードやボードゲームで遊んだり、自分が好きな勉強をするべきだと思います

Q.得意科目(好きな科目)と不得意科目(嫌いな科目)があったと思うのですが、東大の場合、すべてをまんべんなく、こなさなければならなかったと思います。しかも、たとえば社会はセンター試験との関係で、日本史も世界史も勉強しなくてはならないなど、科目数も多かったはずです。私も、高校時代、東大選抜クラスにされましたが、とてもこなせる量ではありませんでした。そのため、手が回らずに東大はあきらめました。今でも、東大合格者がどうやってあれをこなしていたのだろうか? もしくは、こなさなくても
元々できたのか? と、不思議でなりません。ぜひ、教えてください。

A.東大の勉強法ですね。確かに東大は全ての教科を出されます。僕の勉強の仕方の基本は、授業で教えられるその教科の基本を理解することです。例えば、物理であれば、教えられる公式がどのような意味をもっているのか、その公式がどのようにして導かれたのか、どのような場面で使うことができるのか、などを理解し、また自分で納得するまで考えます。決して、公式を丸暗記することはしません。丸暗記すると応用することが出来なくなるからです。とにかく、その学問を考えて、応用できるようにすることが大切です。東大の問題を解くうえで、案外、暗記ばっかりするのではなく、持っている知識をいかに応用できるかということが重要なような気がします。僕は、暗記がキライだったので、英語と社会がキライでしたが、そこは気合で乗り切りました。また、東大は、理三でなければ、一科目くらい苦手科目があっても、他に得意な科目があれば通ります。

Q.「東大に入りたい」と思ったり、「自分は入れるはずだ」という気持ちになったいきさつなどを教えてください。私は、もちろん「東大に入りたくない」という気持ちがあるわけではありませんでしたが、東大選抜クラスにいても、最後まで、自分と東大がどうしても結びつきませんでした。自分が東大にいる姿も想像できませんでした。成績は十分、東大選抜クラス入れるものでしたし、自分が選抜クラスにいるのは当然のことだもと思っていたのですが、なぜか「自分が東大に入れるはずがない」と思っていました。

A.僕は、学校の中で、学年トップ5には入っていました。自信の根拠はそれだけです(笑)。先輩は一期生しかいなく、まだ大学の実績のない学校なのに学年のトップ層にいたから大丈夫だと思っていました。今から思えば、根拠なき自信です(笑)。本当に自分が、東大に受かると確信したのは、高三の秋ぐらいです。

Q.センター試験と二次試験の取り組みの違いについて教えてください。私は基本的に勉強することは好きで、たとえば数学はヒントを出されるのが嫌いで、自力で一生懸命考えて、答えを導き出すのが好きでした。ただ、そうすると記述型試験はよかったのですが、センター試験は解答方法が決まっているためか、どうやらうまくその誘導に乗れずに、点数が伸びませんでした。センター試験の問題文だけを切り取って、あえて記述型にして解いた方が答えにたどりつけました。  教師も参考書も「自分で考えなさい」「じっくり考えることが大切」と言いますが、自分で考えるよりも解答パターンを暗記したほうがいいのでは・・・?などと思い、迷っていた思い出があります。国語に関しては、本当に得意で、全国模試でも全国50位以内に入っていたのですが、センター試験の場合、正解選択肢に対してとっさに「私だったらこういう言い回しはしないな」「この単語はチョイスしないな(別の言い換えの箇所から、別の単語を引っ張ってくる)」と思ってしまって、正解選択肢が不正解に感じてしまうということがありました。そして、別の選択肢を吟味して、吟味しすぎてそのうち、だんだんわけがわからなくなってしまって間違える・・・という感じでした。将来センター試験がなくなるという話もありますが、センター試験と2次試験の勉強はどうされていましたか?

A.東大の二次試験が解けるなら、センターはあほみたいに解けます。だから、僕は、東大の二次試験の勉強をずっとしていて、センターの対策は、直前の12月20日くらいの冬休みから始めました。でも、センターは訓練をしないと点数は取れません。センターは、とにかく時間と1問も落とさない集中力との戦いです。全教科満点を取るつもりでやらなければなりません。なので、ひたすら過去問を解いて、時間配分の訓練と慎重にかつ早く回答する訓練を冬休みの間はしていました。数学は、我流で解くことも誘導に上手く乗って解くことも出来るくらいの実力があれば大丈夫だと思います(笑)。また、現代文は運だと思います。あれだけは良くわかりません。

Q.問題を解き始めたのは何歳からですか?たとえば、「中学受験をするために小学校4年生から塾に通いだした」「『受験』を意識していたわけではなかったが、物心ついたときから幼児教育のプリントを解いていた」など、いわゆる「勉強」をいうものを始めた時期を教えてください。

A.勉強をしたのは、多分、小学4年生の時くらいだと思います。算数アカデミーという小学生用のネットの問題を出すサイトがあって、その問題を頭をひねりながら何日もかけて解いていました。これは楽しかったです。また小5くらいになって受験勉強をしていましたが、これは楽しくなかったです。高校になって大学の受験勉強を高校3年生の6月から始めましたが、これはわりかし楽しかったと思っています。