【お花のサブスクとかけて、学力と解く。その心は?】
「サブスク」という言葉をご存じですか?
サブスクとは、「サブスクリプション」の略で、「製品やサービスなどの一定期間の
利用に対して、代金を支払う方式」 のことです。(大辞林より)
要するに、「月払い」のことです。
お子さんの習い事も、サブスクということですね。
(ただし、私自身は英語に詳しいわけではないので、細かい部分は違っているかもしれません)
そんなサブスクが、お花の配達にもあるのです!
山口の家にいるときにはお部屋に花を飾っているのですが、今年に入ってから、わが家の周りのお花屋さんが次々と閉店してしまい、困っていました。
お花が毎週、宅配便で届く仕組みがあると知ったものの、最初は、
「え?宅配で届く?何だかなぁ~」
「自分で好きな花が選べないよね」
「出張も多いからムリ!」
と嫌悪感すら持っていました。
でも、いよいよお部屋に花がなくなると、寂しいっ!
それで心を動かされ、思い切って注文してみました。
・・・そうしたら!
・きっちり包装してあり、水の代わりに水ゼリー(?)が茎についていて、しおれていない
・センスよく組み合わされている
・好きなように休むことができる
と、いいこと尽くめ!
そして、それ以上のメリットが!
効率よく、少量の花がいくつも組み合わされている
これが、一番のメリットでした。
例えば、自分で買う場合、ちょっとだけかすみ草を入れたくても、1本(大量)買わなくてはなりません。
かすみ草を残すのがイヤで、無理矢理入れて、かすみ草だらけになったり(笑)
自分では決して組み合わせないような組み合わせがしてあって(それもセンスよく)勉強にもなります。
サブスクのお花配達って、
受け身のような気がするし、
手抜きのような気がするし、
何となく敬遠していましたが、大きなメリットがあることに気づきました!
●サブスクで届いたお花の満足度はいかに?●
毎週、宅配便でお花が送られてくるようになったわが家。
数種類のお花がバランスよく組み合わされているので「概ね」満足だったのですが、「大満足」とはいかず・・・・
回数を重ねるごとに、「何かが足りない・・・」と思うことが増えて、思案していました。
何が足りないかを考えてみたら、
「グリーン」
だったことに気づきました!
数種類のお花をバランスよく配置しても、何だかスカスカして華やかさが足りないのです。
もっとも、「一輪挿しのような」シンプルで清楚なイメージをする分には大満足だと思います。
でも、私は一輪挿しよりもう少し華やかな雰囲気が欲しいので「物足りなく」思ってしまったのです。
そこで、園芸店で観葉植物を買ってきました。450円。
これだったら、出張の時でも100均の自動給水器を使えば枯れなくて済みます。
さっそくお花にグリーンの葉を足すと、華やかになりました~(^_^)
ビフォアーの写真がないのでその差がわかりにくいですが、私は大満足です!
「な~んだ、葉っぱを足しただけじゃん」
と思った方もいらっしゃると思います。
でも、お花のサブスクにグリーンを足しているのは、日本中で私だけだと思います。←自画自賛(笑)
こんな風に思いついたのは、私に「お花の土台」があるから。
・生け花を10年習い、師範の免状を持っている。
・フラワーアレンジメントも習っていた。
・テーブルコーディネートのフラワーも習っており、ディプロマを持っている。
・フラワーセラピー2級
そして、以前の一戸建ての家では(自称)イングリッシュガーデンを作っていました。
そうです、お花が大好きなのです。
ただ、ここで私のお花の資格自慢をしたいわけではなく、こういった「お花の土台」があることが大事だとお伝えしたいのです。
「お花の土台」があるからこそ、お花のサブスクで
・「何が足らないか」に気づくことができたし、
・「何を足せばいいか」を思いつくこともできた
のです。
イングリッシュガーデンを作って、庭の花でテーブルフラワーを飾るとき、
「テーブルフラワーを綺麗に生けるには、お花よりグリーンが大事」
ということを体験しているのです。
いくらお花が綺麗でも、グリーンがなければ綺麗なテーブルフラワーは作れません。
お花だけでアレンジメントを作ることはできますが、その場合には大量のお花が必要です。(経済的ではない。笑)
経済的にも美しさ的にも、効率よくお花を飾るためには、お花とグリーンのバランスが大事なのです。
●「学力の土台」とは?●
このように、何事にも「土台」があります。
それでは、「学力の土台」って何でしょうか?
計算力?
語彙?
考える力?
はい、もちろんそれらも大事です。
では、それらはいつから身に付ければ良いのでしょうか?
小学校に入ってから?
入園の時から?
それらは、「求めたい力」によって違います。
計算の方法(足し算、引き算)は小学校に入ってからで十分だと思います。
じゃあ、入学までは何もしなくていいかといえば、そうではありません。
「計算力の土台」はもっと早い時期に作っておく方がいいでしょう。
この「計算力の土台」を作るために必要なことは、幼児期から計算プリントをさせることではありません。
計算を実際にやらせる前に、「土台」を作ることが大事だと思うのです。
「じゃあ、計算の土台って何?」
ズバリ!
「数の大きさの概念を体で覚えること」
この「体で覚えること」が土台だと思います。
● 「数の大きさの概念を体で覚える」とは●
赤ちゃんは、生まれた時には、自分の体が自分のものである、ということを認識していません。
赤ちゃんは自分の手や足を舐めますよね。何のためにそんなことをするのでしょうか。
大人で自分の足を舐める人はまずいません(笑)
赤ちゃんはまだ体の器官が未完成のまま生まれてきます。
でも、「口」だけは完成形です。
そうでないと、食べられないですから。
だから、赤ちゃんの時代、「口」は食べ物を摂取する器官でもあり、まわりの情報を得る感覚器官でもあるのです。
つまり、「舐めて確かめる」のです。
(スリッパの裏とか舐めますよね。笑)
自分の「手」を舐めたとき、こんな風に感じるでしょう。
「あれ?何かを舐めているはずなのに、自分が舐められている感じもする・・・?」
そうやって、それが「自分の手」であることを知るのです。
これが「体で覚える」ということです。
赤ちゃんはプリントを見て、「コレが手、コレが足」と覚えるわけではありません。
自分の目で自分の手を見て覚えるわけでもありません。
「体で覚える」のです。
そして、体で覚えたことは一生忘れません。
少し大きくなった幼い子どもは、イキナリ大人と同じようにものごとを認識するようになるわけではありません。
まだ「赤ちゃんっぽい」原始的な感覚を持っています。
イキナリ数を数えられるようになるわけではありません。
たとえば、手元にお手玉が1個だけあったとき。
「両手で遊びたいのに、遊べない(悔しい)」 と感じるでしょう。
お手玉が2個あったら、
「わ~い、両手で遊べる(嬉しい)」
と感じるでしょう。
3個あったら、
「こんなにもたくさんは持てない(焦る)」
と感じるかもしれません。
1個=悔しい
2個=嬉しい
3個=焦る
こんな体の感覚で数を覚えていきます。
だからまだ数を知らない幼児さんに、カードで「1」「2」「3」を見せても、本質的に理解することはできないのです。
表面的に、
「10まで数えることができる」
「足し算ができる」
ようになっても、本質的な数の理解ができていないと、大きくなって(小学生以上)勉強でつまずくことになります。
「40人のクラスで眼鏡の人が2割います。 眼鏡の人は何人でしょう」
こんな問題で、「80人!」と平気で答えてしまうようになります。
ただの数並べで、式を立てて計算して答えを出しても、出した答えが途方もない数字になっても気づかないのです。
数を体で覚えていると、
「この教室に80人も入るわけないやろっ!」
と違和感を感じるので、自分の間違いに気づくのです。
小学校高学年以上になって数の感覚が身についていないと、中学生から「数学」になると手も足も出なくなります。
正確には、中学生の間は必死でパターンを覚えれば方程式も関数も何とかなりますが、高校数学からは、そんな手は通じないので数学で転落していきます。←私はこのパターンです・・・
だからこそ、幼児期に「体で数を覚える」ことを徹底的にして欲しいのです。
お花のサブスクとかけて、学力と解く。その心は?
どちらも「土台」が大切です。
お後が宜しい様で。^^